3月26日(日)
「金管楽器と打楽器のための交響曲」の練習
09.00--17.00 洗足学園大学横浜キャンパス

金管楽器と打楽器のための交響曲のメンバーだけによる練習が行われた。この曲は吹奏楽の形態から木管楽器を取り除いた編成になっている。また各パートを一人で演奏するから、各人のミスがそのまま演奏の良し悪しとなって現れ、演奏者個人の力量とし評価される。そして演奏中は常に緊張にさらされ、誰も代わりに吹いてはくれない。どこへも逃げる場所はない。

このような演奏者の置かれる精神状態とプレッシャーはこの曲に限らずどんな曲にも必ずある。曲の難易度にもよる。が、その楽器の限界を超えるような超絶技巧の難しさもあれば、簡単な音符で書かれている曲が思いの外苦戦することもだれもが体験している。もし演奏技術に自信がなければ超絶技巧を要する曲を選択しなければ済む。しかし、簡単な音符で書かれている曲の難しさは計り知れない。それは、完成というものがないからである。たとえ一つの間違いもなく完璧に楽譜通りに演奏されたとしても、それが必ずしもその曲の持っている個性を表現しているということに欠けているならば、その楽譜通り完璧おこなわれた演奏は、その曲のもう一つの形であり、その音楽が要求するものとはならない。だが、そういうことがおこり得るところが、つまりいろいろな答えがあることが、それが音楽のおもしろさであり、難しさであり、可能性であると思われる。   

かつて津軽の弘前に演奏旅行で行ったことがある。夜に津軽三味線を聞かせてくれる酒場に行った。そこではまだ中学生くらいの弾き手が活躍していた。その父親も祖父も現役の弾き手でその店の主役であった。そして彼らはこう言っていた。じいさんにはじいさんの「じょんがら」があり、親父には親父の「じょんがら」があり、孫には孫の「じょんがら」がある。それぞれの「じょんがら」の協演があり、協(共)存して協栄いる。津軽では歌い手の数だけ歌があり、弾き手の数だけ曲がある。自分の節を出せることが一人前の印なのだ。

A. リードの作品に1956年に作曲された「オード」がある。トランペット・ソロとバンドの曲である。あまり難しくはないので日本でも時々演奏されている。かつてこの曲がウイーンで演奏された時のことをA. リード本人から聞いた。演奏者はウイーンフィルのトランペット奏者で、非常に素晴らしい音でパーフェクトに吹いたそうだ。だが、それを聞いていたA. リードと彼の奥様は大いに落胆し嘆いたそうだ。この「オード」はジャズのフィーリングで演奏されて初めてその曲のもつ個性が表現できるのだが、ウイーンフィルのトランペット奏者は完璧に演奏したのだがその演奏スタイルはヨーロッパのクラシックそのものだったので、まるで別の曲のように聞こえてしまったらしい。

音楽とはそういうものである。楽譜に書かれるのはその屋台骨を示すに過ぎない。その屋台でラーメンが売られるのか、うどんが作られるか、日本そばがゆでられるのか、おでんが煮込まれるのか分からない。もし、本物のラーメンを知りたければ中国に行かなければ知ることができない。しかし、中国のオリジナルが日本人にとって必ずしもおいしいかどうかは疑問がある。好き嫌いだ、といってしまえばそれでおしまいだが、日本には日本人に慣れ親しんだ日本の味がありスタイルがある。文化である。だからヨーロッパの伝統音楽を学ぶにはヨーロッパに行かなければその神髄は知ることができないし、ジャズを学ぶにはアメリカに、ラテン音楽をやりたいならそれをやっているところに行かないと本物は分からない。言葉(言語)もその通りである。日本の伝統を学びに来る外国人も沢山いる。そして、今日ではわざわざ世界中を探し回らなくてもいろいろなものが居ながらにして手に入る。我々はいつしか手に入れることで満足してしまってそれを追求して自分のものにしようとする意欲を喪失してはいまいか。学ぶための素材やオリジナルに触れあう機会に溢れていても、そこから学ぼうとすることの糸口を見つけだす以前に通り過ぎてしまうかそれを見過ごしてしまう。それほどに現代人は忙しい。そうしているうちに流され得るべきものを得ずに終わる。

金管楽器と打楽器のための交響曲はこれを演奏する人にとっては本当に大変な仕事である。A. リードの作品の中でも一番難しい曲の一つだ。それを作曲者自身が指揮するのだ。こんな機会はもう二度とない。この機会をどう捉え、どう向き合い、どう対処し、どう仕上げ、どういう結果を残すのか。それは、それぞれ一人一人の頑張りと、一人一人によって作り出されるチームワークにかかっている。

3月30日
青山